年に何度か、多い時で月に2回、軽トラにバイクを積んで岡山県の中山サーキットへ。
保安部品は全て外してあるし、取り付けてある部品は全てレース用。
タイヤも町乗り用の溝のあるタイプじゃなくて、溝の無いレース用のスリックタイヤ。
いわゆる当時のF3仕様。
21歳で地元の建設機械メーカーへの部品営業する商社へ就職し、その会社の社長との約束で25歳までバイクに乗る。
その会社の社長も、25歳まで車でレースをしていた。
中山サーキット近くの取引先の工場へ会社のトラックで行き、仕事を済ませ、そのままサーキットへ行くことも何度もあった。
社長と約束した25歳、いつもの中山サーキットで練習走行中、
いつもよりコースがよく見える。
路面のキズが、オイルのシミが、路面の凹凸が一つ一つ見える。
ブレーキングの感覚がいつもより冴えている。
そんな最高のコンディションの中で、奥のヘアピンコーナーを抜けたS字コーナー。
ちょっとした失敗でリアタイヤがスライド、その後はアウト側の縁石に乗り上げバイクは大破。
ヘルメットを被っている頭の先から、革ツナギを着ている全身までオイルでビッショリ。
アウト側の縁石に乗り上げた際に、クランクケースを割ってしまったのです。
転倒後、安全な場所までバイクを移動させ、練習走行の時間が終わるまで地面に座り込みバイクを眺めていた。
ハンドルとバックステップも折れ、クランクケースを割ってしまい、修理をするにも金銭的な余裕ももう無い。
25歳、社長と約束した最後の年、こんな形でバイクでサーキットを走ることを卒業した。
夢の鈴鹿4時間耐久を走ることもなく。
当時の物で、着ていた革ツナギだけが今でも残っている。